にゃん吉です。
2022年12月5日放送の『クレイジージャーニー』の回は、水中写真家・鍵井靖章さんでした。
7年ぶりに再び登場の鍵井さん。
今回はなかなかハードな水中の世界を見せてくれました。
▽目次です▽
水中写真家・鍵井靖章さん
- 水中ではスゴい景色に出会うことがある。その時には水中写真家はいい仕事だと感じると鍵井さん。
- 最高の一瞬の水中写真を撮影するために、1年の半分以上を海で過ごす。
- まるで絵画のような写真を撮る鍵井さん。
- 今鍵井さんが撮影したのは「日本の海」。⇒外国の海は撮影を多くし詳しくなったが、日本の海は全然知らない。
◆鍵井さんが撮影した水中の動画
- ギンガメアジの大群(フィリピン)⇒「アジがクジラみたい」と松本。
- 柄のあるマンボウ(モルディブ)
- バラクーダ(インドネシラ)⇒カバスの仲間
- タコクラゲ(鹿児島)
- 赤潮の中(愛媛県)⇒光が入って七色に。
300匹のサメが集まるシャークスクランブルを撮影
- 世界で日本だけで見れるシャークスクランブル。⇒サメが300匹ほど集まっている。
- 場所:千葉県館山市の伊戸。
- 撮影するのは「ドチザメ」⇒サメだがおとなしめ。体長は1.5m。日本の内湾に多く生息。基本的に人に危険を及ぼさない。
- 鍵井さんは3回ほど撮影しているが、保存していたHDDに愛猫チロちゃんがぶつかり、全部データがなくなってしまった。⇒1年分なくしてしまった⇒「ええねん猫やから(笑)」と明るい鍵井さん。⇒実際はかなりの痛手。
- 出航からわずか3分のところにシャークスクランブルの撮影スポットがある。
- 鍵井さんは水に入ると水深20mを目指す。⇒海底に到着。
- 海底にはドチザメがたくさんいた!⇒カメラをセットしている間に、ドチザメの大群が鍵井さんを囲む。
- 鍵井さんはドチザメが危害を加えないことを知っているので怖くはないと話す。
- 今回300匹もドチザメが集まると、さすがに噛まれたという鍵井さん。⇒「それは怖かった(笑)」
- 手は素手なのに平然と撮影をする鍵井さん「300匹のサメに囲まれるってめちゃくちゃ幸せじゃない?」
- 途中からサメがワンちゃんに見えてきたと話す。
- 水面の獲物を狙って一列にサメが並ぶことをシャークタワーと呼ばれている。⇒その姿を撮影。
- 撮影時間は30分。
- 今回の撮影は餌付けをしているから、サメが寄ってきた⇒鍵井さんは本来は餌付けはしない「ネイチャーカメラマン」
- ここはサメによる漁業被害が多かったところで、餌付けをすることで定置網の漁業被害がなくなった。⇒世界中のダイバーも集まるように。
鍵井さんツイート
鍵井さんの面白ツイートです
モルディブのカオリータが、
— 鍵井靖章 (@Yasuaki_Kagii) December 5, 2022
「ヤスくんがクレイジージャーニー出るのも、凄いと思うけど、それよりも、松ちゃんに会って、話してるのが、ほんま凄い」と評価してもらった7年前。
今回もまた幸運にも、松本さん、設楽さん、小池栄子さんとお会いしました!🤗 https://t.co/We89xAirrE
すっごくわかります。カオリータさんに同意です!
広島湾に沈んでいる戦艦陸奥の撮影
- 7年前に、ミクロネシアにチュークで撮影した戦艦を紹介。
- 戦艦撮影は鍵井さんのライフワーク。
- 広島湾に沈んでいる戦艦陸奥を撮影。⇒海軍で昔活躍した船。当時の技術としては最高峰の船。
- 戦艦陸奥は戦艦大和と同じくらい日本国民に愛された船。⇒大日本帝国海軍の力の象徴。
- 1943年火薬庫から原因不明の爆発が起こり沈没⇒乗員1121名が死亡。⇒広島湾に沈んだ。
- 広島という土地で戦艦を撮影するということに緊張をしているという鍵井さん。⇒日本の海に沈んだ船を初撮影。
- 瀬戸内海は透明度が悪い⇒視界が悪い。
- 戦艦陸奥が沈んでいるのは水深50m地点⇒滞在時間はわずか5分。
- 戦艦陸奥に到着すると、たくさんの命と一緒に沈んだ船ということで手を合わせる鍵井さん。
- 陸奥は船体がひっくり返って水深40mの海中に鎮座している。
- まるでナイトダイビングのようにライトを付けないと全然見えなかったと話す鍵井さん。
- 陸奥の主砲を撮影。⇒半分は砂に埋まっていた。
- 旧海軍のお皿⇒当時船内で使われていたお皿が海中に散在。⇒桜のデザインの陶器⇒陶器は海軍の中でも上級な方が使用。
- トイレを発見。⇒当時の人間生活を垣間見れる品。
- 鍵井さんは逆さの船体へ潜入⇒閉鎖された環境で、高い技術が必要。⇒砂ぼこりを立てないように慎重に進む。
- 空き瓶をたくさん発見!
- 瓶を撮影後に砂ぼこりを立ててしまい、自分の居場所を見失ったという鍵井さん。恐怖心が襲ってきたという。⇒どっちの方向に帰ったらいいのかわからなくなった。
- 鍵井さんは水中でパニックになることはないが、自分もこうなるんだと悟ったという。
- 無事上がった鍵井さんは「陸奥を見ることによって、大きく人生かわっちゃうじゃないかと思った」と話す。そのぐらいの力があった。
凄かったです。
何とも言えない雰囲気がテレビの画面からも伝わりました。
霊的なことを言うのも変ですが、やはりたくさんの命を落とした船ですし、戦争という背景もあるので胸にズシンと響くものがありました。
鍵井さんがパニックになりそうだったというのも、そういう雰囲気に飲まれかけたというのもあるのではないでしょうか。
とても緊張されて撮影されていたのが伝わってましたし。
おかげで、現在の主砲を含めて、すごく貴重な映像、写真を見ることが出来ました。
お皿が少し汚れていましたけど、白磁に青の桜のデザインがされているのがはっきりわかるお皿でした。
1943年に沈没して、79年も地底でずっとありつづけるお皿ですからね。
映像を通してですが、年月の重さも感じたのかもしれません。
鍵井さんだけが震災後から撮り続けている三陸の海
- 三陸の海は、宮城県の女川、岩手県の大船渡はダイバーが潜れる場所だが、それ以外のエリアは潜れない。
- ダイバーは密漁者と思われているため、漁協組合が許可してくれない。
- 鍵井さんは10年前から各漁協組合に特別な許可を得ている。
- 2011年からずっと三陸の海を潜り続けている。
- 震災後の三陸の海を撮影し始めたキッカケ:講談社の「週刊現代」の取材。⇒震災から21日後の三陸を撮影。
- 当時は原発事故による放射能問題が騒がれていた⇒放射線は怖かったと話す鍵井さん。⇒水中写真家なのでそれしか能力がないが、記録することで後々の役に立つのであれば、ということで三陸に向かった。
- 鍵井さんは話す。「言い方は悪いけど、刺激が強すぎた海」⇒フィンキックを1回すると、昨日まで使われていた生活用品の品々が出てくる。
- 目に映ったものはみんな撮影したは、撮影するので精一杯だった。
- 1番最初に撮影したもの:転覆した船。⇒ソナー音が響いていた。⇒それを聞いた鍵井さんは心臓に突き刺さる感じがした。⇒すごい恐怖が襲った。⇒震災の海に潜るということはこういうことなのだと悟ったと話す。
- 当時の映像はちゃんと色がついたカラーだったが、鍵井さんが撮影した時はどの景色を見ても灰色だった。
- 海に沈んだ家にも遭遇。⇒天気が良く、日が差していた⇒玄関から入ると、その日の光で知人の家にお邪魔したような気持ちになった。
◆番組で紹介された震災の写真
- 冷蔵庫
- 昭和天皇の写真
- 小学生の解答用紙
- 立ち入り禁止の看板
番組で映し出された写真はただ事実を伝えているのですが、お会いしたことがない持ち主のことに思いを馳せました。
この方々はご無事だったんでしょうか。
胸に迫りくる迫力のある写真ばかりでした。
震災から11年後の三陸の海
- 鍵井さんは今でも三陸の海に潜り続けている。
- 今回は岩手県宮古市の海へ。潜ったのは浦の沢。
- 浦の沢は鍵井さんがずっと撮り続けている場所⇒集落が津波の被害に遭いなくなってしまった。⇒港自体の使用頻度が減少。⇒未だに海底清掃が行われていない数少ないエリア。
- 電柱:エントリーした直後に見た電柱。⇒沖まで伸びていて案内になっている。
- 車:最初にある浅瀬にある車。⇒以前よりだいぶ朽ちているため見つけづらかった。⇒11年前に撮影した姿と大きく違っている。⇒50年後、100年後にはこの車はタイヤだけになっているのではないかと鍵井さん。
- 靴:こういう人を感じさせるものは辛い。⇒海中の至るところでまだこういう姿は見かける。
- 扇風機:ずっと撮影している2台の扇風機。⇒スタンドやガードの部分はどこかにいってしまい、羽根だけが残っている。
- 2台目の車:ずっと観察しつづけている車。⇒ドアや屋根がなくなり、シートが剥き出しの状態。車の原型がわからない。
- この2台目の車は鍵井さんにとっては震災の海の象徴だった。
- この2台目の車には魚が住んでいる写真を撮っていた。⇒沈んだ車に魚が住んでいることが嬉しかったという鍵井さん。
- 鍵井さんの最初のテーマが「海中に沈んだ人工物と生き物」だった。⇒一生懸命生き物の姿を探していた。
- 今でも沈んだ物だけではなく、生き物を同時に撮影するというこだわりがある。
- 人間生活が1番大切なのは理解している。破壊的な街があり、それが海中にも続いている。⇒その大変な中、1人くらいは海の生き物を心配する奴がいてもいいんじゃないの?という想いがあった。
- 車のシートの上にアナハゼを見つける鍵井さん⇒「こんな車だけの写真だけど生き物がいて少し安心します」
- 鍵井さんの写真では、海の中もゆっくりとだが着実に復興を遂げていることが伝わる。
- 鍵井さんの悩み「今それは僕が撮るべきものなのかな?また撮るの?」と感じている。⇒毎年撮影しているが、何が正解かわからない。
- 震災の海を撮影し続けることが本当に正しいのか、と悩みながら記録続けている。
- 鍵井さんの写真が宮古市役所で期間限定で展示されていた。
- 地元の方は震災を知らない子ども達に伝えていくという点では貴重な写真と話していた。
- 今年の5月まで県立水産科学館の館長をされていた男性:津波はおっかないが、その反面、海の中に住む生き物もそれに打ち勝って再生するという力を鍵井さんの写真から見せてもらっている。
最後に小池さんもおっしゃってましたけど、朽ちていく姿を伝えるということも大事だと感じました。
ただこれを毎年撮影するというのは、心がしんどそうですよね。
その上、これは正しいことなのかと自問自答し続けていたという点が苦しかったです。
人間は忘れることが出来ることもいい点ではありますが、やはりこういう事実があったこと、その後どのように経過していったのかと振り返ることも大事だと思っています。
それを海の中での視点というところも大切ですよね。
汚染の心配があった三陸の海で、元気なお魚や海の生き物の姿を見るというのはどれだけ元気になれることか。
だからこそ、海の生命である生き物たちと一緒に撮影したのだと思うのですが、その生き物が元気いっぱいに見えてなんだかとても嬉しいかったです。
素晴らしい写真と映像でした。
戦艦陸奥から三陸の海のところは、本当に見れてよかったです。
いつか写真展があれば、ぜひ見に行きたいです。
そして、あらためて東日本大震災を思い出した日でもありました。
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